天野康博物語 第七回

-越後の闘将- 最終回 さて、いよいよ最終回。もちろん、話は 1978年9月26日に西宮競輪場で行われ た第21回オールスター競輪の決勝戦(当時 は優勝戦)。勝ち上がりのこととか、何し ろ26年も前のことで、天野康博さん(52)本 人も、「すみませんが、忘れました」。  近畿地区で競輪の専門紙を発行している 競輪研究さんに資料をお借りして追跡した。 78年初めての特別競輪(GⅠ)は7月の高松宮杯(現在の高松宮記念杯)。結果は33634。以降の成績は。 ▽7月29日 前橋 223  初日特選は高橋健二にマー...

天野康博物語 第六回

-越後の闘将- 第六回 さて、この連載も残り2回です。番手を狙う競走で強豪への階段を登っていった天野康博さん(52)。1978年9月の西宮オールスターで県選手初の特別競輪のタイトルを獲る。その前の年からの流れを追ってみる。 デビューが72年4月。それから5年を迎えた77年。天野さんは全盛期に入った。ほとんどが記念の出走だったが、 特別競輪を除くすべての開催で決勝にコマを進めた。28期 で日本一のマーカーとして名をはせた国持一洋さんと天野さんだけの記録だ。...

天野康博物語 第五回

-越後の闘将- 第五回 天野康博さん(52)は1972年にデビュー。工夫された練習と、それに耐えうる頑丈な体、強くなるという精神力のおかげで、A級1班の座を獲得し(今のS級1班)、特別競輪の常連に。県選手初のタイトルとなった78年秋の西宮オールスターは10月号、11月号に持ってくるとして、今回はちょっと番外編を。...

天野康博物語 第四回

-越後の闘将- 第四回 前回、人に言われるのが大嫌いな天野康博さんが、全国で初めての、街道の自動車誘導を始めた話を書いた。「一流選手は自分独自の練習方法を持っている」と、天野さんは言う。でも、その練習をやれる体を持っていた、というのも見逃せない。「デビューしてから7、8年くらいは目いっぱいやった」。 A級で番手、番手のレース を始めた1973年。阿部道 (宮城)、福島正幸(群馬)...

天野康博物語 第三回

-越後の闘将- 第三回 競輪学校時代はわずか2勝。まったく目立たない選手の卵だった天野康博さんは、1972年1月30日に29回生として無事卒業。4月16日に弥彦競輪場でデビューした。1着、3着で決勝進出。決勝 は同県同期の遠藤清彦さんを引っ張って、2着に粘った。 名うてのマーク屋としての印象が強いが、デビューしたてのころは、新人らしく、先行するか、できないかのバリバ リの逃げ選手。...

天野康博物語 第二回

-越後の闘将- 第二回 現役を引退したときは51歳だった天野康博さんだが、4月13日の誕生日が過ぎ、年齢がひとつ増えた。1968年4月に吉田商業高校に進学。36年前のことだ。競輪なんて見たこともなかった。今でもそうだが、その風貌とは反対にギャンブルとは無縁。どのように競輪選手を目指したのか?...
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