-越後の闘将-
第二回

現役を引退したときは51歳だった天野康博さんだが、4月13日の誕生日が過ぎ、年齢がひとつ増えた。1968年4月に吉田商業高校に進学。36年前のことだ。競輪なんて見たこともなかった。今でもそうだが、その風貌とは反対にギャンブルとは無縁。どのように競輪選手を目指したのか?

吉田商業は自転車の名門だけに、すぐに自転車部に入部と思いきや、「初めはサッカー部に入ったね。でもゴールキーパーをやらされて、いやになっちゃった。そしたら、兄貴の知り合いに、自転車をやってみないか、と言われて入ったんですよ」。でも、所属していただけで、合宿も行かなかったし、練習をさぼったり、プラプラしていたという。

「とにかくね。俺は人からこうしろとか、ああしろとか言われるのが大嫌いでね」。ちなみに飲酒と喫煙は中学校時代から。これは本人に書くな、と言われたが、二日酔いで中学校を欠席した猛者。「あの辺じゃ珍しくないよ」(そんなわけ、あるはずない)。高校時代も酒とタバコは欠かさなかった。

高校3年になり、就職を考える季節がやってくる。人に使われるのもいやだな、と思っていたら、自転車部で同期の笠巻清貴さんが競輪選手を目指すと聞いた。「じゃあ、俺もやろうかな、という感じで競輪学校を受けたんだ」。当時は今と同じく、1年に1回しか受験できなかったが、一発合格。新潟から古沢敏朗さん、遠藤清彦さん、笠巻さん、それに天野さんの4人が29回生として、入学した。総勢101名。

29回生といえば阿部良二、 加藤善行、久保千代志、天野康博と、4名のタイトルホルダーを輩出。「花の29期」と謳われた。現在、GⅠと呼ばれる特別競輪の決勝に、渡辺孝夫(大阪)、中田毅彦(徳島)、田仲俊克(東京)、田中巧(熊本)、塩沢正仁(山梨)らが進出している。今、手元にある72年3月発行の月刊ダービーを見ている。在校時、勝ち星が一番多かったのは、山下文男(和歌山)の89勝。天野さんは模擬レースを129回走り、わずか2勝。下から数えて18番目。「全然、レースなんかわからなかったから、逃げるか、逃げられないかだけだった」。

失格が1回あるが、「そんなレースをしたことがなかったけどなあ」。県選手では遠藤さんが30勝、笠巻さんが26勝、古沢さんは天野さんと同じく2勝。

力が違うなあとか、えらいところに入ったなあとかは感じました?

応えて曰く、「人は人、俺は俺」。そうだった、人に指図される学校そのものが大嫌いだったんだ。まったく目立たなかった競輪選手の卵は、競輪学校を卒業。72年4月16日、弥彦でデビュー戦を迎える。

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