2017年の弥彦競輪本場開催はファンの皆様のお陰で無事、終了致しました。今後は場外発売でお楽しみください。

-新潟県 名選手列伝③-

倉田 浩幸さん

小泉純一郎新首相は親子3代の政治家。新潟にもいますよ。倉田浩男(故人)-倉田浩幸(15期、引退)-倉田浩道(55期)の三世 代選手が。そこで今回は引退後、弥彦村の老人憩いの家で働く倉田浩幸さん(62)にお話をうかがった。氏は騒擾事件で揺れる61年6月に選手登録、93年 まで159センチの体で32年間走り切った。通算105勝。

父親は県選手会の初代の会長を務め、オールドファンには、レースとレースの合い間の曲乗りでおなじみ。私も、自転車のサドルの上に 立ち、オートバイと首をヒモでつないだまま、バンクを疾走する写真を見たことがある。「私もあれはできるよ。でも親父はあのままカントのあるところを登っ ていった。それはできない。でも両手の代わりに両足でハンドルを操るのは、私はできたけど、親父はできなかった」。要はバランスだと簡単に言ってのける が…。父は浩幸さんの落車を見て、
うまく転ぶと言ったそうだが浩道君の落車を見て、同じことを思った。これが血だ。

父との初めての同時配分は64年の千葉。父は曲乗りなどの功績で表彰を受けたが、本人は落車で散々。それよりも「浩道と初めて一緒だったとき は感動し た」と振る返る。「浩道が走っているときはそこだ、踏め、とかいろいろ言っていたらしいね。終わってから周りに散々言われた」。浩道君が高校3年のとき、 「選手になりたいと言ってきた時はうれしかった」と相好を崩した。「4人も子供がいて、一人くらいあとを継いでくれなきゃ、なーしたんだって言われる よ」。

「選手になって3場所で追い込みになった。当時は新人は先輩のために逃げるのが当たり前だったから、お前の親父はそんなことを教えたのかとか 言われたけ ど、口で言われるくらいで、いじめられたりはしなかった。やはり親父のおかげでしょう」。

選手としてスポットライトを浴びることはなかったが、やめる前に日記を見て、こんな発見をした。「1着から7着までの同着をしたことは自慢で きるね」。 一人でも追い抜く、絶対にあきらめない、その気持ちが小柄な体を32年間支えた。





















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