-新潟県 名選手列伝⑥-

高橋 フミさん

今は男子だけの競輪。かつて女子競輪があったのを知っているのはオールドファンのみか。本県でも箱田扶美さんを初め実質6名(登録は8名)の 女子選手が 活躍した。高橋(旧姓佐藤)フミさん(69)は 1953年4月に選手となり、弥彦でも2回優勝など活躍。「でも地元は緊張してイヤだった」と選手時代を振り返ってくれた。

東京で1年、社会人としての生活を送ったのち、分水町地蔵堂に帰ってきた高橋さんは、「事務や工場で働いても収入は知れて いるし、競輪選手になろう」と決意した。当時、地蔵堂地区は自転車大会が盛んだったし、競輪選手も何人かいた。「それに、学生時代に同じ陸上で活躍してい た箱田さんが選手になっていたのも心強かった」。

「結婚費用の足しにしようくらいの軽い気持ちでした」と言うが、練習、練習の生活が始まった。午前5時から街道を走り、そのあとは競輪場へ行って、 夕 方、自宅へ戻る。冬は雪のない平塚や大宮で練習する。「私はお酒も飲めないし、練習のあとに吉田で映画を見るのが楽しみでした。洋画、邦画を問わず、ほん とうによく見ました」。

戦法は追い込み。しかも番手が基本だから競り合いは当たり前。「私みたいな短距離系の選手は1車でも前にいなければ勝てませんから」。競 り込んで、レース後、北海道の強かった選手に怒鳴られたことも。「でも調子がいいときですよ。強引に中を入っていっても怖くなかった」。

60年には選手として3年後輩の高橋信明さんと結婚した。「年齢も年齢だったし、妥協したんです」とコロコロと笑う。「もう御身大切で力も落ちてい た」。62年にはお腹に長男を入れたまま、夫婦で宇都宮のレースに参加。帰りに日光を観光してきたことも。

結婚資金にと、貯めていたお金はその後も大事にとっておいた。「何ていうんですかね。使えなかったんです」。それまでは陽気にいろいろと話してくれ た高 橋さん、ちょっとうつむき加減でしばらく黙った。

年に1回は関東ブロックの女子競輪OG会の50人くらいで旅行がある。「新潟から倉品ミヨさん、久保田(旧姓内藤)律子さんと参加しています。何で も我 慢ができる。だから選手になってよかったって、みんなで話しますよ」。また高橋さんが楽しそうに微笑んだ。

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