-新潟県 名選手列伝⑬-

本間 英樹さん

2000 年の3月に引 退。今は岩室村で飲食店「ピットイン英」を経営し自ら調理場に立つ。デビューは1978年5月。1630戦して114勝。「同期の原田(則夫)が後輩の練 習を見る。俺が人間関係のことをみる。知らないうちに、そういう役割をやっていたなあ、と二人で話すことがあるんです」。

10年くらい前か、バンクでもがき終わった先輩の自転車を取りに出た若手。先輩が 「いいよ」というと、若手は 下がった。本間さんは「それ でも自転車を取る。そうされていやな気持ちになる人はいないんだから」と若手に言う。 若手はいやな顔をせず、「は い」と応えた。いい人間関係 だなと感心した記憶がある。 厳しい上下関係とは違う。いい雰囲気というやつだ。

「自分も先輩たちにかわいがられたし、それを後輩にしているだけ」と本間さんは話す。例えば、 「ここで、何時 から飲み会をやるから」と声をかける。「返事はいっさい聞かないんです。強制というわけではないけど、そういう付き合いは大事にしないと、 という意味もあって、そうするんです」。それを当たり前 みたいな感じでやっていく。 「いい関係を保つためには、 楽しまないといけない。それに若い人もついてきてくれたのかな」。

新人時代は人前で失敗して恥をかくのはいやだ、と思 っていた。あるとき、飲み会で先輩から何かやれと言われて、先輩選手の形態模写をした。これがすごく受けて、 「こんなんでいいんだ。それから人前で何をするにしても気が楽になった」。作家の川上信定氏は競輪に関する著作で 「本間英樹は競輪以外は何でも超一流」と評した。ゴルフ は「父親も自分もプロゴルファーになりたかったというの が本音」という腕前だし、司会進行は軽妙洒脱。

デビューした取手でいきなり落車。天野康博、渋川久雄さんに、その年、プロになった本間さん、原田則夫が出演して、テレビ番組が制作された。本間さんの シーンは落車したところだけ。B級を2期やって、翌年にA級へ。初のA級戦は9月の花月園。そこで優勝を果たす。「決勝は7 人が落車。これが思い出のレースというわけではないけど印象に残っている」。

以来、22年。「ギスギスした選手ではなかったし、選手をやめてもそれほど変わらな いかな。まあ競輪も勝負の世界だし、今の店も自分の中で は勝負の世界だと思っていますよ」。

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