鋭い差し脚を武器に、「カミソリ昭二」と評された小林昭二選手(53期)が、7月8日の弥彦競輪・TeNYテレビ新潟賞を最後に、現役を引退されました。

1984年5月13日の弥彦競輪でデビューした小林選手。同年10月の富山競輪で初優勝を飾り、通算の優勝回数は12回。全盛期は特別競輪でも活躍して、233の勝ち星を積み重ねました。

弥彦競輪場には、小林選手への感謝を伝えようと、多くの新潟県選手が集まり、現役最後のレースを終えた小林選手には山崎登選手、松本一成選手らから花束が贈呈されました。

レース後に、小林選手にお話を伺いました。

-急な引退のように感じますが-

引退を意識し始めたのは去年の中旬ぐらい。練習しても成績が残せなくなって。26年3カ月の選手生活でしたけど、もう気力、命運ともに尽きたと感じました。

-思い出に残っているレースは?-

やっぱり地元の弥彦での競走ですね。弥彦でのデビュー戦、弥彦記念での優勝、そして、第1回ふるさとダービーの順位決定戦であの中野浩一に先着したレースが強く心に残っています。

-今後は?-

直前に会社が決まって、会社員として第2の人生をはじめます。僕は競輪選手は現代の侍だと思っています。その気持ちで第2の人生も頑張っていきたい。でも、選手は引退しますけど、自分がやってるブログ「小林昭二の毎日がお祭りだ」で、ファンの側から競輪をみていきます。僕は競輪が大好きですから。

-最後にファンに一言-

ファンの方には感謝の気持ちしかありません。ファン、そしてよき先輩に支えられて、悔いのない競輪人生を送れました。いい後輩にも支えられたけど、中には現代の侍魂に欠ける後輩もいたんで、彼らにはもっと頑張ってほしいね(笑)

※小林選手の希望により、引退セレモニー等は行わず、引退の発表がレース後となりました。ご了承ください。

山崎登選手から小林選手へ花束
を贈呈。
松本選手からも花束。 出走前の原田則夫選手から声を
掛けられ、涙、涙の小林選手。
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