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2001年の4月から今年の6月まで連載させてもらったこのコーナー。創世期のメンバーでもある倉品ミヨ氏から40期の高井俊幸氏、池田哲男氏、皆川正氏まで、全部で20人。様々な話をうかがい、限られたスペースの中で、どこまで話し手の気持ちが伝えられたかは疑問ですが、今ある競輪をまた違った角度から眺める一助にはなったはず、かな。 弥彦競輪が始まって、今年で53年目を迎えますが、選手会の流れからいくと、印象と して、以下のように分けることができるでしょう。いわゆる黎明期、そして早福寿作氏の登場。早福さんに引っ張られて練習した、と語ってくれた方、多かったです。全国区で勝負する厳しさも持ち込まれました。話を聞いても、それまでは、東京へ行くだけでビビッたと…。それに佐野正晴氏が続き、さらに渋川久雄氏、天野康博選手が特別競輪で活躍を始めた時代。 新しい感覚が入ったのは原田則夫選手が登場した40期代から。56期から67期まで新人の出なかったときを経て、阿部康雄選手、笹川竜治選手が卒業記念のレースで優勝。そして70期後半から80期代の選手が第一線で頑張る現在。
僕がいつも悲しいと思うのは競輪選手はいつの間にかいなくなるということ。全国的な超有名選手は、最近、引退式をファンに向かって行える機会があるが、多くの選手たちは期が変わったときに、関係者にしか知られずに姿を消す。最後のレースが終わり、 敢闘門を引きあげてくると、 その開催に参加している選手たちの何10人かが出迎え、花束を渡し、労をねぎらう。家族が参加するシーンも。選手控え室でたった今、引退したばかりの選手がマイクを持ち、感謝の気持ちを伝える。「みなさんも体に気をつけられて長く選手生活を続けてくださ い」。 体が資本のプロスポーツの世界では、いつかは迎えなくてはならない引退。デビュー したばかりの88回生の登録番号は13900番に達した。
現役選手は約3900人だから、1万人の選手たちが人生の再スタートを切っている勘定です。 記念競輪でOBの人に選手紹介の先導をしてもらうのもあり、でしょう。それから、 10年、20年、30年と競輪をやっているファンの皆さん。新しいお客さんを連れてきて、 その人に、競輪にまつわるいろいろな話を語り込んで下さ い。僕も20年以上前に、それでファンになったんです。
今回の取材で、もう終わったことだから、と言われて取材を断念したケースも。今でも現役選手に取材するとき、 終わったレースのことを聞くと、まあ終わったことだからと、気持ちの切り替えがしっかりしていることがある。確 かに、次のことに取り掛かっているのに、また根掘り葉掘り聞くのも何ですよね。その気持ちはよくわかります。 あと、多かったのは、「俺なんて弱かったし、話すことなんて何もないよ」と言われるケース。でもこれがあるんですよ。当たり前ですが…。 こちらが聞きたいのは強い弱いではないんですと、くどき落とすこともしばしば。何10年もプロとして生活した、そのこと自体を聞きたかったのです。 これも多くの人が言っていましたが、20期代くらいまでは競輪のイメージは悪かったみたいです。それを多くの人が競技で、実生活で払拭していったのです。だから、元選手の誰もが「競輪を支えた鉄人」なんです。 女子選手に出会えたのも貴重な経験。1964年まで行われていました。まだ和服姿の女性が多くいたころに、半パンツで人前に出ることだけで抵抗があったはず。10何年か前に弥彦競輪場で、ファンの前に紹介されたのを覚えていらっしゃるでしょうか?今でも年1回は関東ブロックのOG会の旅行があると聞いてうれしくなりました。
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