-越後の闘将-
最終回

さて、いよいよ最終回。もちろん、話は 1978年9月26日に西宮競輪場で行われ た第21回オールスター競輪の決勝戦(当時 は優勝戦)。勝ち上がりのこととか、何し ろ26年も前のことで、天野康博さん(52)本 人も、「すみませんが、忘れました」。  近畿地区で競輪の専門紙を発行している 競輪研究さんに資料をお借りして追跡した。

78年初めての特別競輪(GⅠ)は7月の高松宮杯(現在の高松宮記念杯)。結果は33634。以降の成績は。
▽7月29日 前橋 223  初日特選は高橋健二にマー ク。準決、決勝は中野浩一にマーク。
▽8月13日 豊橋 135
▽8月24日 大垣 7欠欠  2日目以降を右ひざの関節炎を理由に欠場。
▽9月10日 武雄 欠場

そして、9月21日に開幕した第21回のオールスターを迎えた。開催は02年3月に廃止された西宮競輪場。当時、阪急ブレーブス(現オリックスブルーウェーブ)の本拠地だった西宮球場のフィールドに競輪開催のときだけ、鉄骨を組んで、アスファルトの33バンクを作り上げていた。

一次予選は21日で、塚本昭司(茨城)に再度マークして2着。荒川秀之助(宮城)が2着失格で繰り上がった。翌々日、23日の二次予選は4角で内を突いて3着。また1日はさんで、25日が準決。バックまくりの福島正幸(群馬) にマークして2着。これで決勝を決めた。「前の夜はいつも通り、浴びるほど飲んで寝ました。当日はいつも一緒に走るメンバーなので、特別にどうということはあまり感じなかった」。メンバーは

1高橋 健二(愛知)
2福島 正幸(群馬)
3堤  昌彦(福岡)
4渡辺 孝夫(大阪)
5緒方 浩一(熊本)
6桑木 和夫(栃木)
7国持 一洋(静岡)
8天野 康博(新潟)
9中野 浩一(福岡)

レースは高橋、中野の先行争い。後方に位置した福島―天野が狙いすましたまくりを放つ。福島の踏み出しにちょっと離れた天野だったが、3 角では追いつき、直線で4分の3車身交わして優勝。「特別の準決勝もこの西宮だけだからねー」という天野さん。「2センターでは抜けるという確信があった。そこからゴールまでは、もう楽しくて」。 特別競輪の決勝では、最後の4角を絶好の番手で回った選手が、緊張からだろう、ペダルを3角に回し失速することがよくある。それを初の決勝 で楽しんでいるとは。豪傑。

優勝賞金は1127万円(現在は4000万円)。94年に取材したとき。「賞金は仲 間とみんなで飲んで、なくなりました。副賞なども人にあげたし、手元には何も残っていません」と応じてくれた。 豪快、太っ腹。この優勝は新潟日報の1ページ全面の広告 にもなった。仲間たちがお金を出し合って実現。これも愛すべき人柄がなせるワザ。

その後、特別競輪には83年の平オールスターまで出走。 全盛期はこのあたりまでになる。「練習はやっていたけど とことんまでの、実の入ったものではなくなった」。

桐箪笥作りを手がけ、やがて、現在の仕事になっている古美術の世界へ。これからのことを尋ねると、「やるからには、 (左手を膝を上に置き、右手を頭の上にかざし)、こうなりたい」。そう、天野さんは自分の意志で決めたことにはあらん限りの情熱を注ぎ込む人である。「そろそろ、競輪場にも行ってみようかとも思っているんですが…。高校時代から35年も自転車に乗っていたし、拒絶反応を起こしているのかもしれませんね」。

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