-越後の闘将-
第五回

天野康博さん(52)は1972年にデビュー。工夫された練習と、それに耐えうる頑丈な体、強くなるという精神力のおかげで、A級1班の座を獲得し(今のS級1班)、特別競輪の常連に。県選手初のタイトルとなった78年秋の西宮オールスターは10月号、11月号に持ってくるとして、今回はちょっと番外編を。

天野さんに、最初の自転車はどこのを選んで、自分のサイズとかが決まったのはいつなんです?と質問したときのこと。返ってきた答えは「自転車は人任せで、何に乗っていたのかも知らない。追い込み用っていうだけで」。最近はセッティングをいろいろ試す選手が増えたし、児玉広志選手のように、試行錯誤の上サドルの立ったフレームを作った選手も。その逆にまったく無頓着の人もいる。天野さんのことなんですが…。

でも、まだ現役を張る北海道の藤巻清志選手のアドバイスで右と左のクランクの長さを変えたことがあった。「最初は効果があるけど、体が慣れてきちゃうんだよね」。また、元に戻している。

そういえば、天野さんは、 競輪のルールをよく知らないことでも有名。昨年5月の弥彦。目標にした選手が内をスルスル上がっていった。天野さんは2車身くらい離れて、 内帯線を切って、これを追いかけて失格。見ていた僕らは 「やっちゃった」と声をあげたが、御本人は、端から見ていると、うん、そうなのかといった感じ。「何か、競輪のルールって、コロコロ変わるでしょ」。競輪の形態が複雑 になり、選手も新しいルールの元で、いろいろ考え走る。 ルールと選手の知恵はいたちごっこの面がある。

でも、ただの無頓着ではない。しっかりした技術に裏打ちされている。審判を担当する競技会の職員が、天野さんと内側追い抜きの話をしていた。職員が、「天野さん、内帯線と外帯線の間を走っている選手を内帯線を切って、追 い抜いたら失格」。天野さん は、それに対し「前の選手が ラインの中を走っていて、俺 も内帯線を切らずに、抜いていけるよ」。職員はすかさず 「そんなこと、できるわけないでしょ」。

「じやあ」と、 天野さんは、実際に、選手を外帯線と内帯線内に走らせ、 それを内帯線を切らずに抜いて見せた。職員はあんぐり。

マーク屋として、一番大事なことはバランス。それを鍛えることに余念がなかった、 その実力がそこにはあった。 追い込み選手は好位を得るために外から競り込み、または脚をためて、直線で突っ込む。 競輪はもっと単純なもの。力をつけ、技を磨く。負けたら、 また練習する。シンプルイズ ベスト。