-新潟県 名選手列伝⑫-

笠巻 清貴さん

今年3月に引退したばかりの笠巻清貴さん(50)。新潟選手 会の前支部長としても活躍された。1972年の4月に29回生としてデビュー。選手生活はちょうど30年。特別競輪出場は2回。通算270勝。とりわけ有 名なのは72年10月に廃止となった後楽園競輪の最後の優勝者となったこと。

笠巻さんは父親が切り抜いてくれた30年前の新聞を見せてくれた。10月5日 付けで、そこには後楽園での優勝記事が載っている。「僕は後楽園で負けたことがないんです」。弥彦の3連勝で選手生活をスタートさせて、B級は4場所連続 の完全優勝で通過。その2場所目が後楽園。そして10月にはA級としてあっせんされた。決勝には同県の渋川久雄さんも同乗していたが、ともに新人時代で別 線。渋川さんの先行を、10番手から笠巻さんがまくった。観衆は6万人を超えていた。解説しておくと、後楽園は都知事が廃止の方針を打ち出していたが、い つやめるかは明示されてなく、このあと、突然に廃止になっている。最後だから6万の入場があったわけではなく、常時このくらいの人が押しかけていたことに なる。

「レースが始まると、観客席が茶色になるんです」。走っている側から見ると、ファンの顔がひしめいて、場内は人の顔色になる。今は考えられない光 景。だ から、同期の仲間から「お前は後楽園に2回も走れてよかったよなあと言われました」。それにセンター部分の走路の幅が弥彦の1・5倍くらいあって、「上に いて下を見ると怖かった」。

もうひとつ、忘れられないのは、のちに中野浩一氏と並び称された菅田順和(宮城)のデビュー21連勝を阻んだレース。1着、1着で笠巻さんも菅田も 勝ち 上がって迎えた松戸の決勝。笠巻さんが果敢に先行して、菅田のまくりを不発にした。優勝は番手で同期同県の古沢敏朗さん。「デビューしてからの連勝記録を 持っていた同期の阿部良二によくやったとほめられましたね」と笑う。

吉田商の先輩の姉に「自転車部に入れば、いろいろなところに行けていいよ」と言われて始めた自転車競技。「練習は嫌いでしたね」と述懐してくれた。 「配 分が詰まっていて、練習ができないと言うのを聞くけど、自分には理解できなかった」。さっぱりしているのが持ち味だが、「どんなレースでも、どんな選手で も、スタート台につくまでは胃がキリキリするくらいの重圧があるんです」。スポーツであり、ギャンブルでもある競輪。その中で「成績うんぬんより、30年 間やってきたという気持ちが強いね」。

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