-新潟県 名選手列伝⑮-

池田 哲男さん

昨年11月に引退した40期の池田哲男さん(47)。燕工業を卒業して、研修期間なが ら半年を社会人として過ごし、1977年の11月にデビューする。25年走って、1856レースに出走。101勝。肩がいかった独特のフォームで勝負しに いく姿勢を記憶しているファンも多いはず。

デビューの前橋で3着、4着、5着。 新人がそのレースに3人いれば3着。5人いれば5着。力はそのくらいだったが、初日から競り合っていた。新人は先行と決まっているこの世界では異色の存 在。スピードがない自分がのし上がっていく ためには、競り合って位置を作っていくしかなかった。

池田さんの現役時代に、当時は弥彦にあった家を訪れたことがある。部屋から部屋への通路のところにローラー台が置かれ、両側の壁にマットが貼られてい た。競り合いながら走る練習のためだ。

1勝目は翌年3月の千葉までかかった。「前橋に冬季移動したんだけど、当時、天野康博さんが千葉の九十九里浜の浜茶屋を借りて練習してい たんです。前橋を飛び出して、そこで一緒に練習させてもらった」。夜になれば、周りは真っ暗。海辺だから風も半端ではない。「それは猛練習をした」。その 年の2月に同期の増子政明選手の後ろを競り合って取り切った。それが続いた。2着に食い下がれたことで、手ごたえを感じた。そして初めて勝った。ところが 本人は「あんまり覚えていないなあ」。

B級の初優勝は1978年5月の静岡。A級に上がって初の1着は1979年1月の前橋。そして A級の初優勝は1982年4月の宇都宮まで待たなければならなかった。「2週間前の西武園で落車して、頭も打ったし体も強く打って、何かやる気が おきない。1日ボーッとしている状態でした。フレームもこわれたので、新しいのを組んで出掛けた」。1着、1着で勝ち上がったが、本人はまったく無欲だっ た。そして気負いもなかった。あれよ、あ れよいう間に3連勝で優勝。 「それまでは力みすぎて気を抜くっていうのがなかったんですね」。

「それほどいい成績は取れなかったけど、記憶に残る選手にはなれたと思うんです」。 関西での開催で、何年ぶりかにその競輪場に配分された時、 池田さんはファンの声援に感動した。その声は、「この前来たときには戦ってくれたじゃないか。今回もまた戦ってくれよ」。そして「ガッツ、池田コール」。 ファンを熱くさせる選手だったし、競りにはスジが通っていた。

今になって、池田さんイコ ール番手、番手の強引な競り屋と思われている節があるが 現役時代の失格は14回と少な い。悪質と取られた場合は制裁として配分が止まることがあるが、池田さんはこれを経験したことがない。

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