-新潟県 名選手列伝⑯-

高橋 敏さん

2 年間のサラリーマン生活を経て、1969年に26期生としてデビューした高橋敏さん (54)。京王閣競輪場のそばにあった競輪学校が伊豆の修善寺に移った第1回目の卒業生。1997年11月に引退まで28年超の選手生活。「落車は多かっ たけど、ケガは1994年の鎖骨骨折だけ。無事これ名馬かな」。

吉田商 業の3年。当時は実用車という、レーサーではない普通の自転車の競技があった。バンク10 周、バックとホ ームで2回ずつの先頭通過義務を果たし、最後の着順で勝敗を競う。岐阜国体で6位。 5位は宮城の荒川秀之助。

「難儀なことはきらい」と本人が言うように、辛く厳しい自転車はもうこりごりと、 新潟県燕市の会社に就職。プロ選手へ導いたのは、すでに選手になっていた同じ年の佐野正晴さん。「たまたま行き会って、こっちは125ccバイクがやっと 買えたのに、向こうはブ ルーバードの3Sに乗っていた」。

1968年、26期の試験に合格。 「100人いて、90何番か」。デビューして、何とかごまかして、年寄り相手なら勝てるだろうと思っていたが、「ベテランは横に強かった。もう一生B級だ と思った」。

そんな高橋さんに火をつけ たのは同期で同県の鎌田登美男さん、 藤原実さん、小柳研児さん。 仲間は1期でA級の競走得点を確保していた。「あれはショックだった。取り残された感じ」。それから朝、午前、午後、夜と4回、回転力をつけるための練習 に励む。「それまでは 12秒前半の先行についていくのに、もうケツが飛んでいた。回転力がつけば尻がサ ドルにしっくりするようになり、余裕ができて、前を抜けるようになる。そうなれば楽 しくなるんだよね」。

デビューした年の11月にB級で10勝して特進。定期昇級の仲間たちは1月からA級のレ ースだったが、高橋さんはひと足早く12月にA級に上がった。「でも、優勝はこのとき のB級での3回だけ。A級で は決勝の2着が2回。優勝は取っていない。俺が史上もっ とも弱いB級10連勝の特進選手でしょう」。

A級決勝2着のうち、1回目にはこんなエピソードがある。1986 年11月18日からの京王閣。準決3着の高橋さんは23日が結婚式だったこともあり、無理はせずに決勝でトップを引くつも りだった。ところが早福寿作さんも決勝に勝ち上がり、「俺の後ろにつけ、と言われてト ップ引きをことわった。結果 は早福さんのイン粘りに続いてワンツー」。

「選手としてやってこられたのは前橋での冬季移動で鍛えられたから。早福さんや鎌 田に、否応なしに練習させられたもの」。「強くはなれなかったけど、そのせいで長くは やれた」と笑って締めてくれた。

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