-弥彦競輪50年の足跡-

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冬の時代から一気に新潟選手会を躍進させたのは阿部康雄の存在が大きかったと言っても過言ではない。今回は阿部にスポットを当てな がら、弥彦記念競輪の歴史を紹介する。
阿部康雄が素人脚自慢に出場
67期に合格した高野聡と川上秀明は名門吉田商を卒業と同時に競輪学校入りしたが、68期合格の阿部は自転車の経験がまったくない状況でのものだっ た。 競輪選手を志すきっかけとなったのが異色で、全国的に話題となった。当時弥彦では記念競輪開催の時にファン向けに素人脚自慢大会を行っていたが、その時に 圧倒的な強さを見せ優勝。高校(新潟商)時代にはラグビーを
やっていたし体力には自信もあった。サラリーマンとして生活を送っていた阿部は一念発起して、未知の競輪選手を目指した。受験資格の年齢制限を考えると受 験回数は2回までという厳しい状況の中で会社を辞めてこの道を選んだ。
原田則夫らが一丸となり
バックアップ
その心意気に惚れ込んだ原田則夫ら地元選手、指導する愛好会らがバックアップ。67期の受験こそ失敗したが、68期ではトップレベルで合格した。先 輩選 手は「あの練習にはついていけない」と音を上げるものだっただけに、阿部の努力は常人には計り知れないものがあったようだ。その努力が実ってか68期の卒 業記念チャンピオンにも輝いている。その後の活躍はファンも承知のところだ。きっかけは別にしろ、その後も自転車競技の経験がなかった松本一成、飯塚裕樹 (ともに野球部出身)がデビューしているが、阿部の存在があったのも一因だろう。
昭和49年に初の
弥彦記念競輪開催
競輪選手・阿部康雄を誕生させたとも言える弥彦記念競輪。50周年を迎えた弥彦競輪だが、初めて記念競輪が開催されたのは開設 25周年の昭和49年4月27~29日(前節)、5月3~5日(後節)。A級5班、B級2班制度の時代でオールA級戦で行われた。弥彦の場合はA1のトッ プレーサーが参戦する機会がなかっただけに、開設以来の豪華メンバー。そのためファンの数も7000人を超える日もあるほどの盛況ぶりだった。そして弥彦 記念の初代チャンピオンは現在もA3で活躍している荒川秀之助(51・宮城)で、後節はすでに引退した福島正幸氏が輝いた。そして30周年記念では時の人 でもあった中野浩一氏が弥彦初登場とあって中野フィーバーで盛り上がったが、準決で3着失格となり決勝の日を前に帰郷となったのも印象深い。また35周年 には井上茂徳氏が当所初登場して優勝。また40周年には今年6月に新潟へ移籍した小橋正義が初めて当所参戦している。節目の時の記念競輪は何かと話題も多 く、50周年の今回も、のちのち語り草となるシーン
が期待できそうな気がする。(つづく)








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