7月18日 弥彦でデビュー ルーキー保科圭太選手インタビュー 
取材日 2008年6月3日
   
 
―競輪選手になろうと思ったきっかけは?
「叔父の竹内忠さん(現在は師匠)からの影響が大きいと思います。中学校までは野球をやっていたのですが、将来は普通の人がやっていないようなことをやりたかった。それで、自然と競輪選手になろうという気持ちになった。自転車部があった燕工高(現在は三条工高と統合され、新潟県央工高)へ進学したのも、選手になるためでした」
 

―2005年の千葉インターハイ自転車競技、チームスプリント優勝など、高校時代は競技で大活躍でした。
「燕工高最後の卒業生でしたから、千葉インターハイは燃えました。ただ、僕個人の能力的には中途半端というか、スピード系、スタミナ系、どちらもトップレベルではなかった。新潟県内では戦えましたが、全国ではあと一歩という感じでした」

―高校卒業を経て、競輪学校へ入学するわけですが?
「能力的に微妙だったので、苦労しました。高校在学中の92期から競輪学校を受験したのですが、やはりダメでしたね。93期も落ちて、3回目の受験、94期でようやく合格できました」

―約1年、「浪人」生活となったわけですか?
「はい。浪人していた1年間は、本当に練習づけの毎日でした。気持ち的にもつらかったですが、『目指している道のためだ』と、自分に言い聞かせて、日々練習に励んでいました」

―3度目の受験、94期の時は手応えがあった?
「それなりのタイムを出せたので、大丈夫かなあとは思っていましたが。合格の報を受けた時は、本当にうれしかったです」

―競輪学校での生活はどうでした?
「いろんな意味でキツかったです。日々のスケジュールがぎっしり詰まっているので、自由な時間がほとんどないですから。練習もスケジュール通りなので、自分がやりたい練習がなかなかできない。同じ夢を持った同期の仲間達との生活は楽しかったですが、練習に関してはちょっとストレスがたまりました」

―競走成績に関しては?
「全然、先行できなくて。人の後ろを回るばっかりで不甲斐なかった。卒業記念では準決勝まで行けたけど、まだ力が足りないです」

―3月末に学校を卒業してからは?
「新潟の先輩選手と一緒に練習させてもらっているのですが、自分の足りない部分を思い知らされています。あー、ダメだなあって。学校時代、モガキ中心の練習だったこともあって、持ち味だった持久力が低下してしまった。今は学校入学前と比べて、かなりマイナスの状態。長い距離を乗り込んで、元の状態に戻すことで精いっぱいです」

―7月にデビューです。保科圭太を売り込んでください。
「まだ能力的に足りない部分ばかりですが、気合だけは負けないつもりで走ります。競輪選手というチャンスを与えられたので、上を目指して頑張っていきたい。応援をよろしくお願いします」
 

           保科 圭太選手
保科圭太 ホシナケイタ
1987年6月9日生まれ、O型。
燕工高卒。高校時代は自転車
競技で活躍して、2005年イン
ターハイチームスプリント優勝。
競輪学校94期では、在校成績
43位。趣味はゲーム、好きな
有名人は、ほしのあき。166セ
ンチ、71キロ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     
 
◆選手インタビュー 2009年3月20日 鈴木庸之
  2009年3月4日  大矢将大選手
  2008年3月30日 新潟県優秀選手インタビュー
  2008年6月3日  保科圭太
  2008年5月7日  小川 隆