弥彦を支えた鉄人達10 藤原実さん

新潟県 名選手列伝⑩- 藤原 実さん 4月14 日に、弥彦競輪場内で昨年度の優秀選手として表彰された藤原憲征選手。その父は今回紹介する藤原実さん(53 )だ。1969年4月にデビューし、98年12月に引退するまで29年の選手生活。「決勝に2回しか乗ったことがないけど、長い間やってこれたしそこそこ でしょうか」。 中学3年のときが新潟国体で、ロードレースの応援に行った。地元出身選手を特に声援す...

弥彦を支えた鉄人達9 小川良雄さん

-新潟県 名選手列伝⑨- 小川良雄さん 戦後の日本のスポーツ界は1964年の東京五輪を境に大きく変わったし、新潟も64年の国体が境界線になる。県選手のスター第一 号の早福寿作さんが競輪界に飛び込んだのが64年。このあたりから全国区の選手が続々と登場するが、それ以前の本県の賞金王は小川良雄さん(68)。54 年の6月に兄の進さん、貞夫さんに続いて19歳でデビューし、特別競輪にも出た。新支部長の小川隆選手の父でもある。 小川さんの脚質は超スプリント。選手になる前も、なってからも、街道練習では女子選手にも置いていかれた。「今はもがきが...

弥彦を支えた鉄人達8 渡辺 茂さん

-新潟県 名選手列伝⑧- 渡辺 茂さん 競輪が始まったのは1948年11月の小倉。本県でも1950年には17人の選手登録があり5月に新潟県競輪選手会が結成され、会 長には倉田浩男氏が就任した。その後、1952年に社団法人日本競輪選手会が作られ、新潟の選手会も1953年には公益法人となった。現在の日競選の新潟 支部となったのは1972年。支部長は根立誠一氏で、平出次男氏、渡辺茂さん(47)を経て、現在の笠巻清貴選手へ受け継がれた。...

弥彦を支えた鉄人達7 庭野博文さん

-新潟県 名選手列伝⑦- 庭野 博文さん 今回は競輪選手としてより自転車競技ドミフォン(オートバイに乗ったペーサーと、そのすぐ後ろを自転車に乗ったレーサーがペアで走行。一 定時間内にバンクをどれだけ走れるかを競う)のペーサーとして有名な庭野博文さん(45)をご紹介します。11歳で選手を目指し、35期でデビューした庭 野さんの名前が知れ渡ったのは、1982年の全プロで中川聡志と組んだドミフォンで優勝してから。以来、このペアで6連覇。笹川竜治とのコンビでも優勝 し、世界戦へ5回出場している。...

弥彦を支えた鉄人達6 高橋フミさん

-新潟県 名選手列伝⑥- 高橋 フミさん 今は男子だけの競輪。かつて女子競輪があったのを知っているのはオールドファンのみか。本県でも箱田扶美さんを初め実質6名(登録は8名)の 女子選手が 活躍した。高橋(旧姓佐藤)フミさん(69)は 1953年4月に選手となり、弥彦でも2回優勝など活躍。「でも地元は緊張してイヤだった」と選手時代を振り返ってくれた。 東京で1年、社会人としての生活を送ったのち、分水町地蔵堂に帰ってきた高橋さんは、「事務や工場で働いても収入は知れて...

弥彦を支えた鉄人達5 遠藤清彦さん

-新潟県 名選手列伝⑤- 遠藤 清彦さん 8月には各地の競輪場で、86回生の新人たちがデビューする。遠藤清彦さん(53)は社会人生活3年を経て、29回生として72年にデ ビュー。11年間、 選手として活躍し、KPKの始まった83年から今年の3月まで、今度は日本競輪学校の教官として18年間、選手を養成する立場で競輪界にたずさわってき た。 遠藤さんのまくりは穴党のファンを喜ばせた。「読み通りになって勝てたら面白いんでしょうけど…」。楽しかった思い出は年...